説得力のある横浜 税理士
「国家金融」の性格がきわめて強くなった Y 銀行は、第2次世界大戦後にGHQによって清算されることになった。
その資産を継承して設立された東京銀行は、特別な国内円資金基盤をもたない普通銀行として再出発することになったため、別世紀後半の金融再編のなかでその特殊性は埋没し消滅していった。
戦後の金融に求められたのは、国内経済復興への支援であった。
戦前財閥系のM・S・M・Fなどの民間銀行と、長期資金を提供するN 銀行やNT銀行などが企業金融を支え、証券市場もN・D・Y・Nの四大証券によって急速に拡大していった。
こうした金融基盤の制度設計が高度成長期をもたらし、日本経済の奇跡を呼び起こすエンジンとなったのは間違いない。
だがその成功体験への固執が、逆に市場経済やグローバル化が急速に進んだ世界経済のなかでの日本の金融の特異性を浮かび上がらせることになる。
日本の金融界の海外への一斉進出は、その後に一斉撤退という見苦しい結果を生んだ。
急速に伸びる経済力を背景に金融力への期待感が強まったが、時代が求めた市場対応力は鈍いままであり、その希望は幻想に終わったのである。
不良債権問題は、その無残な結果のひとつであった。
江戸時代の金銀流出から現代のグローバル化苦戦までの過程を概観すれば、日本には国際金融の源泉である情報収集・分析力だけでなく、柔軟な制度設計力や環境適応力にも欠けていたように見える。
「国家か民間か」といった安易で二項対立的な発想も、金融力をいた。
2007年の株式市場において、日本市場のパフォーマンスが「世界のブービー賞」であったことが、メディアを賑わした。
中国やインドなど新興国が軒並み高い収益率をあげ、日本はサブプラィム問題で腰が砕けそうになっていた米国にすら劣る成績となり、例によって一斉に「悪者捜し」が始まった。
新聞などの結論は「日本の構造改革が遅れているという印象が外国人投資家の売りを誘った」という線で落ち着いた。
K 構造改革の路線が中断し、日本への投資に魅力が薄れた、というもっともらしい後づけ論である。
だがこれはほとんど何も語っていないにも等しいほど弱体化させている。
外交政策の基本がリアリズムであるといわれるように、金融もまたリアリズムで対応すべき世界であるが、日本には国際金融が「力学の場」であることへの認識が薄いのかもしれない。
2007年の日本市場における収益率低下の大半は、日本よりも成長性の高い多くのマーケットが世界の投資家に認知された、ということで説明可能だろう。
残りの理由は、日本が好況期に利上げすらできない虚弱体質国であるという意味で、積極投資には値しないと思われていたことだろう。
日本市場は世界の中心にあるわけではない。
国際金融の文脈を、日本中心の座標で観測してはいけない。
国際金融市場は大西洋を視点に据えて世界を見るのである。
その観点から日本の潜在力や成長性が再び評価されれば、改革の有無は関係なく資本流入は再開されよう。
2007年は、多様な新興国市場が勢いよく飛び出したこと、欧州経済のしぶとさが評価されたこと、米国の市場の質が見直されたこと、といった要因のなかで、日本に光るものが全くなかったというにすぎない。
そして金利だけでなく金利機能そのものまでが消滅しているという致命的欠陥も、市場の不信を高めている一要素になっている。
金融の基礎である金利がゼロで、金利機能もない状態で、経済が正常に運営されるはずがないからである。
その意味では、「デフレ信仰」を定着させた消費者物価指数重視の罪は重い。
生活物価は急上昇している半面で、携帯通信料や情報機器の値下がりという要因から、「日本はデフレを脱却していない」という金利引き上げに反対する政治家の言葉に裏づけを与えたからである。
ゼロ金利の長期化と金利機能の喪失は、金融の存在感を瓦解させている。
バブル崩壊後の経済状況悪化のなか、1999年2月に政策金利が0.15%になり事実上のゼロ金利時代が始まった。
その後も量的緩和という非常事態への対応策が敷かれ、2006年7月に0.25%への引上げが決定されるまで事実上のゼロ金利は継続することになった。
そして2007年2月には0.50%まで引き上げられたが、実態的にはこうした水準もまだ「近似的ゼロ金利」の範囲である。
金利がゼロであるということは、資本の適正配分尺度がないということに等しい。
資本の流れを決定するのは金利である。
これがゼロであるということは、資本の秩序が乱れているということであり、日本経済は資本が合理的に配分される設計になっていない、と見られても仕方がない。
そういう国に海外から資本が流入しないのは至極当たり前のことであり、海外資本の動きにしか売買判断を求めない主体性のない市場で、活況な相場が期待できないのも当然のことであろう。
金融に関する構造改革といえば、金融機関の間に激震が走った2005年の郵政民営化が思い浮かぶ。
長信銀や外為専門銀行などの特殊金融の撤廃や、公的金融の再編なども大きな制度改革であったが、国民に直接関わりが深いという意味で、そして世界最大規模の民間金融が誕生するという意味で、この郵政民営化は大きな意味をもつものであった。
いわゆる K 改革の最大の目玉として達成されたこの郵政民営化は、金融面においては「 Y 銀行」と「 K 生命」の2つの組織の行方に注目が集まっているが、この改革に対しては「官から民へ」という流れとして評価する声が上がる一方で、圧倒的な資金量をもつ独占的企業の誕生という批判も目立っている。
だがこの郵政をめぐる本質的問題が、メディアが熱狂した K 改革の中で見事にすり替えられたという意味で、日本の金融制度設計の弱点を読み取ることも必要であろう。
郵政における金融制度は、その資金の入り口と出口それぞれに問題が指摘されていた。
まず入り口、つまり貯金する人や簡保に入る人が郵便局を訪れる部分においては、民間と重複する仕事を公的機関が、ハンディを負わずに(ときには民間より有利な条件で)行うという問題があげられていた。
そしてその出口、即ち資金の運用に関しては、郵貯・簡保ともに「財政投融資」という第二の予算と呼ばれる仕組みにしたがって、必ずしも透明でなく説明責任の乏しい制度のなかで、大量の国債消化や公的機関への投融資に利用されていたことが問題視されてきた。
どちらも重要な問題ではあったが、健全な成長を促す適正な資金循環というマクロな制度設計の点から見れば、巨額の国民財産が、市場メカニズムを伴わずまた明朗なディスクロージャーもない国家制度にブラックホールのように吸い込まれていく出口構造を放置することの方が、より深刻な問題であることは明らかであった。
当時のK 首相は、自らの政治信念でもありまた国民の目にわかりやすい「入り口改革」を唱えて郵政民営化法案を成立させ、構造改革は成功した、と主張した。
民営化賛成派は、出口改革の重要性を認めるがゆえに入り口の民営化が必要であったと説く。
だが民営化後の組織に、効率的で透明性のある運用力があるという保証は全くなかった。
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